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京都地方裁判所 昭和23年(行)14号 判決

原告 室井徳重郎

被告 京都府知事

一、主  文

被告が昭和二十二年十一月二十七日買收令書を原告に交付してした別紙目録記載の土地に対する買收処分中京都府竹野郡間人町字東河原二十四番地ノ九農地の内該農地の西南角を(A)点とし西北角を(A′)点とし(A)点から畦畔に沿い東方へ十四間三分の地点を(E)点とし(A)点から畦畔に沿い東方へ十四間三分の地点を(E′)点とし右(請)点と(E′)点を結ぶ直線の西側百四十四坪四合三勺の部分の買收処分は無効であることを確認する。

被告が訴外大森菊治郎に対し賣渡通知書を交付してした賣渡処分中前項掲記の農地の同一部分についての賣渡処分についての賣渡処分を取消す。

原告のその余の第一次の請求、その余の第二次の請求を棄却する。

原告の第三次の訴を却下する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

二、事  実

原告は第一次的に被告知事が別紙目録記載の農地について昭和二十二年十一月二十七日原告に買收令書を交付してした買收処分は無効であることを確認する。第二次的に被告知事が右農地について別紙目録記載の賣渡の相手方に賣渡通知書を交付してした賣渡処分を取消す。第三次的に被告知事は右農地を原告に、そうでなければ室井八重に、そうでなければ室井数子に、そうでなければ室井一彦に賣渡せ。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求めその第一次的請求の原因として被告は間人町農地委員会が昭和二十二年八月八日樹立した買收計画に基き、原告所有の別紙目録記載の農地につき昭和二十二年十月二日を買收の時期とする買收令書を昭和二十二年十一月二十七日原告に交付して右農地に対し買收処分をした。しかしながら右買收処分は無効である。すなわち(一)間人町農地委員会は本件農地について昭和二十二年七月二日を買收の時期とする買收計画を昭和二十二年五月十五日決定し、これに対する原告の異議申立てを同年六月四日却下した。そこで原告は京都府農地委員会に訴願を提起したが、右買收の時期である同年七月二日までに裁決に至らなかつたので被告は同年十月二日を買收の時期とする買收計画を樹立決定すべき旨の通牒を奧丹後地方事務所長を経て同年八月七日間人町農地委員会に発し同委員会はこれに基き同年八月八日再度右農地について買收計画を決定したのである。被告の発した右通牒は農地調整法第十五條ノ二十八の再議を指示したものと解すべきであるところ、この指示に基いて間人町農地委員会が再度した買收計画決定は前述の最初に間人町農地委員会が農地買收計画を決定した昭和二十二年五月十五日乃至は右決定に対する原告の異議却下の決定をした同年六月より一月以上を経過した同年八月八日であるから農地調整法第十五條ノ二十八第一項但書によつて右買收計画は無効であり、これに基く本件買收処分は無効である。(二)本件農地の右買收処分は農地調整法第四條第二項第三号乃至第五号に違反する無効の買收である。(三)被告は原告の住所を京都府竹野郡豊栄村岩木にありとし、間人町所在の本件農地はいわゆる不在地主の所有する農地であると認めて本件買收をした。しかしながら原告は本件買收の時期である昭和二十二年十月二日当時及び買收令書が交付された同年十一月二十七日当時は勿論のこと、以前から引続き肩書地の本宅に住所を有しているものである。豊栄村岩木にあるのは原告が本件農地で農耕作業を営む便宜上使用する農舍であつて原告の住居というべきものではない。而もその農舍は豊栄村内にあるというものの間人町竹野村豊栄村の三町村の境界附近に建てられたものである。されば原告を自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)の適用上不在地主ということはできない。いわんや前記本宅には昭和二十二年四、五月頃から原告の実子二人が居住して本件農地について農耕に從事していたものであるから自創法第四條第三項により原告を不在地主ということはできない。原告を不在地主として本件農地を買收した処分は無効である。(四)原告は本件農地を何人にも小作させたことがない。本件二十四番地の九の農地は原告の自作地であつて訴外大森菊治郎は勿論何人にも耕作立入を許した事実はない。又本件二十四番地の十、十一、十二の三筆については原告が造田改田工事実施のため訴外溝尻菊藏を工事請負人として右工事を請負わせ溝尻は原告に右三筆を田地として引渡すまでに稻作を試みたにすぎない。從つて溝尻は小作人ではなく右三筆の農地は小作地ではない。仮に溝尻が耕作者であるとしても、工事を請負わせた原告は耕作者たる地位を失うものでなく、本件農地は依然原告の自作地である。故に買收の対象とならないものであるのに本件農地を原告の自作地にあらず小作地であるとしてした本件買收処分は無効である。以上の理由により本件買收処分の無効であることの確認を求める。第二次的請求の原因として被告は別紙目録記載の農地を同目録記載の賣渡の相手方に対し賣渡通知書を交付して賣渡処分をした。しかしながら前記のように本件買收処分は無効であるから從つてこれを賣渡す処分も無然違法であることを免れない。仮にそうでないとしても本件農地の買收の時期における耕作者は前述の如く原告であるから原告に賣渡すべきものである。然るに別紙目録記載の通りその耕作者でないものにこれを賣渡した賣渡処分は賣渡の相手方を誤つた違法がある。本件農地の賣渡を受けた者の中溝尻菊藏は昭和二十五年二月二十日その買受申込を取消した。從つて同人に対する賣渡処分は右申込の取消によつて買受申込のない者に賣渡したことに帰着し違法たるを免れない。以上の理由により本件賣渡の処分の取消を求める第三次的請求の原因として本件農地は原告の耕作農地であり、原告の妻八重、子数子及び一彦は原告の家族で原告と共同してこの耕作をしていたのであるから本件農地を原告に、そうでなければ八重に、そうでなければ数子に、そうでなければ一彦に賣渡さなければならないものであるから、その賣渡を求めると述べ、原告の主張に反する被告の答弁事実を否認し、立証として甲第一乃至第十六号証を提出し、証人岡田晴之助、同岡田常治、同奧島喜久治、同金森修二の各証言及び檢証(第一回)の結果を援用した。

被告指定代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として被告が原告主張の本件農地につき原告主張の通り買收処分をしたこと、被告が右買收農地の中間人町字東河原二十四番地の九田八畝歩を訴外大森菊治郎に、同所同番地の十二田八畝二十六歩を訴外溝尻菊藏に夫々賣渡通知書を交付して賣渡処分をしたことはいずれも認めるが、同所同番地の十田七畝十歩及び同所同番地の十一田六畝二十歩については賣渡処分は未だ行つていない。本件農地買收の時期である昭和二十二年十月二日当時原告は竹野郡豊栄村に住居を有しており間人町には住居を有していなかつた。又右買收期日当時本件農地は訴外大森菊治郎、同溝尻菊藏が適法な小作人としてこれを耕作中であつた。同年十月下旬から十一月上旬に至り右小作人が栽培した水稻を刈取るや原告は不法に裏作として麦を播種して両名の耕作を妨げたものである。本件買收処分は自創法第三條の要件に適合し何等の違法はない。本件買收処分が農地調整法に違反するという原告の主張は法の誤解に基くものであつて採るに足らない。被告は訴外大森菊治郎、同溝尻菊藏は前記の如く適法な小作人であり、將來農業に精進する見込があるものと認めて同訴外人に適法に買收した本件農地の賣渡処分をした。右賣渡処分にも何等の違法はない原告は本件農地を原告か、そうでなければ原告と同居の家族に賣渡せというが、行政事件訴訟特例法第二條の規定から考えて行政廳である被告に対して特定の行爲をすることを求める訴はできないと述べた。(立証省略)

三、理  由

まず第一次の請求について判断する。

被告が原告所有の別紙目録記載の農地について昭和二十二年十月二日を買收の時期とする買收令書を同年十一月二十七日原告に交付して右農地に対し買收処分をしたことは当事者間に爭いがない。原告は右買收処分は間人町農地委員会が同年八月八日樹立した買收計画に基づくものであるところ、右買收計画は被告の同年八月七日の指示による農地調整法第十五條ノ二十八第一項の再議決であつて当初の議決のあつたのが、同年五月十五日であるから農地調整法第十五條ノ二十八第一項但書に違反し無効であり、從つてそれに基く本件買收処分も無効であると主張する。しかしながら右規定は昭和二十二年法律第二四〇号(同年十二月二十六日公布)によつて第十五條ノ十八第一項として新設されたもので、それは農地委員会が違法又は著しく不当な議決をした場合に都道府縣知事がその議決後一ケ月を限り、これを是正するため再議に付することができるという再議回付権を定めたものである。從つて原告主張のように間人町農地委員会の樹てた当初の買收計画に定められた買收の時期までに買收手続が進められなかつたために、被告が再度買收計画を樹立決定すべしという通牒を発したとしても、これを目して右規定による再議回付権の行使であると解し、これを前提として買收計画並びに買收処分の違法無効を主張することは主張自体において失当であるといわねばならない。

原告は又本件買收処分は農地調整法第四條第二項第三号乃至第五号に違反し無効であると主張するが、右規定は昭和二十四年法律第二一五号(同年六月二十日公布)によつて新設されたもので、それは農地などに関する所有権その他の権利を当事者が任意に移轉又は設定することを統制するために行う都道府縣知事の許可又は市町村農地委員会の承認に関する規定であつて、自創法による強制買收には全然関係を持ち得ないものであることは明白であるから右主張も採用できない。

次に原告は被告は原告の住所を竹野郡豊栄村にあるものとして本件農地を買收したが、原告は本件買收令書交付当時及び令書に定められた買收の時期は勿論その以前から現在まで肩書地に住所を有しているものであるから本件買收は無効であると主張するので考えてみる。ところで一体自創法による買收処分が行われた場合に自創法第三條の買收の要件を充足する事実の判断は何時を以て基準とすべきかは一つの問題である。自創法の認めるいわゆる遡及買收の場合においては昭和二十年十一月二十三日現在が基準となることは明文に照し疑いがないがそうでない通常の現状買收の場合にはその基準となるべき時期としては買收計画樹立当時、定められた買收の時期、買收処分をした日(すなわち通常は買收令書交付の日)等が考えられる一般的には行政処分の違法の有無は処分当時を基準として判断すべきものと解すべきであるが、農地買收に関しては自創法が特に「買收の時期」というものを認めこの買收の時期は農地買收計画に定めておくことを要し買收令書の記載要件でもあり買收処分があつた場合には右買收の時期において当該農地の所有権は政府がこれを取得し当該農地に関する権利は消滅し又当該農地の賣渡の相手方もその時期における小作農を第一順位とすべきものとしている(自創法第六條、第九條、第十二條、第十六條)一方都道府縣知事が自創法第三條により買收処分をするには必ず市町村農地委員会の定めた買收計画によらなければならないことはいうまでもないが、買收計画は自創法第三條による買收処分そのものではないのである。そうしてみると買收処分の要件たる事実の判断は右「買收の時期」を基準とすべきものと解するのが相当である。ひるがえつて本件について買收の時期たる昭和二十二年十月二日当時の原告の住所が何処にあるかを檢討する証人金森修二、同下田雅壽の各証言に原告本人訊問の結果(一部)並びに檢証(第二回)の結果を綜合すると原告は大正十二、三年頃から間人町所在の肩書本宅に居住していたが、本件農地からはかなり遠く農耕その他に不便であつたので、昭和七年頃本件農地から数百米南方にあたる間人町、竹野村、豊栄村の三町村の境界附近で間人町の区域を離れること約五米の竹野郡豊栄村字岩木に農舍を建設し時々此処に起居して農耕等に從事していた。ところが昭和十五年頃から昭和二十二年十二月頃まで訴外金森修二に前記間人町の居宅の一部を賃貸しその間は妻八重と共に右農舍に居住して專ら農耕等に從事し、肥料の配給や供出割当等もすべて右農舍の在る豊栄村で受けていたこと、ただ昭和二十二年九月の秋作肥料からは本宅のある間人町で受配することにしたこと、昭和二十一年頃から原告の娘二人が間人町の本宅の離家に起居しており昭和二十二年十二月には訴外金森から前記本宅の明渡を受けその後は本宅に家族と共に居住し本來の状態に復していることを認定することができる。右認定に反する原告本人の訊問の結果は信用しない。その他右認定を左右するに足る証拠はない。右事実によれば昭和二十二年十月二日当時原告の住所は豊栄村の前記農舍にあつて間人町の本宅にはなかつたものと認めるのが相当である。されば本件買收処分には原告の住所の認定を誤つた違法はない。尤も前記農舍は間人町の区域に極めて近接し、それは農耕等の便宜のために建てられたもので原告がこれを住所としたのも本件土地の農耕等の必要があつたためであるから原告をいわゆる不在地主としてその農地を買收することの妥当性如何は疑問なきを得ないが、さりとてこれを目して本件買收を無効とする程著しい瑕疵ということは到底できない。なお原告は原告の実子二人が昭和二十二年四、五月頃から引続き間人町の前記本宅に居住し本件農地について農耕に從事していたから自創法第四條第三項の適用により在村地主とみなされると主張するが、同條項は昭和二十四年法律第二一五号(同年六月二十日公布)第八條により新設されたものであつて本件に適用することを得ないことは右法律第二一五号第九條に明記されているから右主張も理由がない。

次に原告主張の本件農地はいずれも原告の自作地であつて小作地ではないという点について考える。成立に爭いのない甲第五号証当裁判所が眞正に成立したと認める甲第八、九号証に証人大森菊治郎、同溝尻菊藏、同下田雅壽、同中江勝郎、同永尾高次の各証言、檢証(第二回)の結果、鑑定人山本礒一、同田中保の鑑定の結果を綜合すると、本件農地の中二十四番地の九田八畝歩の中東側三畝歩は終戰後帰鮮した訴外鈴木斎東が昭和十八年頃から原告所有の間人町小字東河原二十四番地の四、五、六、七、八の東側大堤防に面した部分の田地合計一反三畝四歩と合せてこれを小作していた水田で鈴木の後を受けて訴外大森菊治郎が昭和二十一年五月頃から小作して來たこと、二十四番地の九の西側は原告が自作していたものであるが昭和二十二年六月頃被告は訴外大森に右耕地返還の要求をしたため紛爭を生じ、大森は昭和二十二年七月京都地方裁判所峯山支部に原告を相手方として昭和二十二年(セ)第一号耕地確認等の小作調停を申立て同年九月十一日現場において「一、申立人(大森)は相手方(原告)所有の竹野郡間人町小字東河原二十四番地ノ八、二十四番地ノ四、二十四番地ノ五、二十四番地ノ六、二十四番地ノ七及び二十四番地ノ九の田地の内東側大堤防に面した部分その面積一反五畝溝畔十五坪につき從來通りの契約で耕作することができる。二、右耕作田地の内同所二十四番地ノ九田地においては申立人(大森)の耕作する部分と相手方(原告)が耕作する部分と相接するがその間の境界は東側の畦より一間三分西に進んだ地点を南北に連結した線とすること」等を條項とする調停が成立したこと、訴外大森が昭和二十二年秋その小作地の稻作の刈取を終るや原告がこれを取上げたので昭和二十三年一月訴外大森は原告に対し峯山簡易裁判所に昭和二十三年(ハ)第一号不動産引渡請求訴訟を提起し同年六月十六日「被告(本件原告)は原告(訴外大森)に対し前記二十四番地ノ九田八畝歩を現在の麦刈取後直ちに原告(訴外大森)に引渡すこと」という裁判上の和解が成立したこと。右二十四番地の九田八畝歩は略矩形をなしその西南角を(A)点西北角を(A′)点東南角を(F)点東北角を(F′)点とするときは前記小作調停当時原告の自作地と訴外大森の小作地との境界であつた畦は(A)点と(F)点を結ぶ線上で(A)点から南方へ十五間六分の地点を(D)点とし(A′)点と(F′)点を結ぶ線上で(A′)点から南方へ十五間六分の地点を(D′)点とし右(D)点と(D′)点を結ぶ直線であつたこと、從つて右調停で設定された原告の自作地と訴外大森の小作地の境界は(D)点より一間三分西すなわち(A)点より十四間三分東の地点を(E)点とし(D′)点より一間三分西すなわち(A′)点より十四間三分東の地点を(E′)点とし右(E)点と(E′)点を結ぶ直線であり(E)(F)(F′)(E′)各点を順次連結した面積百八坪九合六勺の農地は訴外大森の小作地、(A)(E)(E′)(A′)各点を順次連結した面積百四十四坪四合三勺の農地は原告の自作地と定められたものであること、又本件二十四番地の十乃至十二の農地は元桑園であつたものを訴外溝尻が借受け、昭和九年頃から昭和十九年頃までに順次水田に轉換して小作し昭和二十年四月十三日小作契約を更新して小作料を反当り玄米一石二斗と定めて右各農地を耕作し來つたものであるが、昭和二十二年秋收獲を終るや原告がこれを取上げ麦の裏作をしたことを認めることができる。以上各認定に反する原告本人の訊問の結果は信用しない。その他原被告の全立証によるも右各認定を左右するに足らない。

以上の事実に基いて判断すると本件買收の時期である昭和二十二年十月二日現在及びそれ以前において本件買收農地の中二十四番地の九の内前記(E)点と(E′)点を結ぶ線の西側の面積百四十四坪四合三勺の部分は原告の自作地であつて小作地ではないことが明瞭で疑いの余地はないと共にその他の部分と二十四番地の十乃至十二はいづれも右買收の時期において小作地であることが明白である。而して証人下田雅壽、同中江勝郎の証言によれば間人町農地委員会は前記(A)(E)(E′)(A′)の各点を結ぶ農地の部分が原告の自作地であることを十分認識しながら敢て不在地主の所有する小作地として買收計画を樹てこれに基いて本件買收処分がなされたものである。客観的には自作地であるのに自作地とみるか小作地とみるかに疑問の余地があり、これを小作地と認めることも強ちでないことはないという場合にその判断を誤り小作地と認定しての買收処分ならば直ちに無効と結論することは許されないが、原告の右自作部分は自作地であることが明白で小作地と疑うべき余地は全然なく農地委員会もこれを十分知悉しながら便宜小作地としたまでである。この場合の自作地を小作地として右部分を買收することは買收の要件を欠如して違法であり、この違法はその部分に限り買收処分を無効ならしめるものといわねばならない。然らばこの部分の買收無効確認を求める原告の請求は正当として認容すべきであるが、その余の部分については既に明らかにした通り買收を無効ならしめる瑕疵は全然ないのであるからその余の買收無効確認の請求は失当として棄却すべきである。

進んで第二次の請求について判断する。原告は本件農地の賣渡処分の相手方でないことはその主張自体で明らかであるが、凡そ行政処分の取消を求め得るものはひとりその処分の相手方だけに止まらずその処分につき法律上の利害関係を有する者はその処分の違法を主張してその取消を求め得るものといわねばならない。原告は本件賣渡農地の耕作者で右農地は原告に賣渡さるべきものであると主張するものであるから、原告はその取消を求める訴を提起するにつき法律上の利益を有し、從つて本請求は適法性を有するものと解する。

そこで本案につき審理するに、まず原告は被告は別紙目録記載の農地を別紙目録記載の各賣渡の相手方に賣渡処分をしたと主張するに対し被告は原告主張の農地中二十四番地の九及び十二の二筆について原告主張の如く賣渡処分を行つたことを認め二十四番地の十及び十一の二筆については未だ賣渡処分を行つていないと主張する。然るところ原告の全立証を以てしても右二十四番地の十及び十一の二筆につき賣渡処分があつたことを認めるに足る証拠がなく、かえつて証人下田雅壽の証言によれば右二筆については賣渡処分をしていないことが窺える。されば賣渡処分のあることを前提とする右二筆についての取消請求は爾余の爭点についての判断を俟つまでもなく失当である。

よつて進んで本件二十四番地の九及び十二の二筆の賣渡処分の違法の有無につき考えてみるに、二十四番地の九の農地の内既に認定した通り(E)点と(E′)点を結ぶ直線の東側百八坪九合六勺の部分については訴外大森が買收の時期に適法に小作していたものであり、二十四番地の十二の農地については訴外溝尻が適法に小作していたものでその買收処分の有効なことも既に明らかにした通りであるから右の各部分についての賣渡処分には何等の違法がない。なお原告は訴外溝尻菊藏は本件農地買受の申込をなしながらその後においてこれを取消したから二十四番地の十二の農地を溝尻に賣渡す処分は違法であると主張するが、たとえ原告主張のように訴外溝尻がその後において買受申込を取消したとしても一旦適法有効になされた賣渡処分がそのことによつて違法となるものではないから右主張は排斥する。しかしながらすでに判断した通り二十四番地の九の農地の内前記(E)点と(E′)点を結ぶ直線の西側百四十四坪四合三勺の部分は原告の自作地であり、この部分の買收処分は無効であるからこれについての賣渡処分は違法として取消を免れない原告の第二次の請求はこの部分に限り正当として認容すべくその余は失当として棄却すべきである。

最後に原告の第三次の請求は本件農地を原告もしくはその家族に賣渡せというのであるが、かように裁判所に対し積極的に行政処分をなすことを求めることは現行法上許容されないものである。從つて第三次の訴は不適法として却下すべきものである。

そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條第九十二條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 平峯隆 宮崎福二 岸本五兵衞)

(目録省略)

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